ETV 大震災発掘 埋もれた警告を観て

今日は三鷹で、パパ・タラフマラの演出をてがけてきた小池博史さんの舞台、「注文の多い料理店」を観に行きました。

その感想を書きたいのですが、

 

今さっきETVでやっていた「アンコール 大震災発掘 埋もれた警告」をうつらうつらしながら観てたら、

ちょっとメモっておきたいので、先にそれを書いておきます。

 

東日本大震災は、9世紀に起こった貞観地震と近しい規模の巨大地震であり、記録や調査からそうした規模の地震に対する備えを専門家からいくつかあがっていたにも関わらず、内閣府だの、保安院だの、東電だのが、

 

「効率的に備える」

「我々の責任を及ぶ範囲の時代は」

 

という言葉によってそうした対応が切り捨てられていた、というものでした。

 

3.11で発生した東日本大震災による地震は、こうした上記の理由によっては、何も対応出来ないことを明確に示していると思います。

つまりこれからの時代において、そうした理由はなんの意味も持たないし持ち得ない。

 

効率的なことが最優先されること、

自分が生きている時代においてのみ、責任があると考えること、

これらがすべて、3.11を得た現在では事実上破綻しています。

 

 

「それまで済んでいたつもりだったことが、もう済まなくなっている」

 

これは個人個人の生き方にも及ぶ価値観だと思います。

 

効率的な対応ではなく、時間をかけること、プロセスを味わうこと。

自分の生きている時代だけよければいいという、即物的で無責任な態度でなく、この眼の前の自然・世界は、未来の世代からの預かり物だというネイティブ・アメリカンの言葉が示すような謙虚さが必要であること。

 

そしてここには命に対する価値観が、どうしても変わらざるを得ないんだろうと思っています。

「人は今の人生が一度限りで、死んだら終わり」

この世界観に立脚している限り、自分本位の世界観から抜け出ることは出来ないんじゃないかと。

 

結局こうした人生観は、近代から現代の経済優先、大量消費社会と親しい間柄で結ばれているように感じています。